農家を引き継ぐ子どもたちがそんな営農を見せられては経営スキルや金融リテラシーが高くなるはずもなく、同じような形で営農していく。しかし、2000年以降すさまじい速さで社会は変化しているため、今でも選択肢を持たずにひたすらに足元をみて畑を耕し、せっせと農協に出荷していく。農協の悪口をいいたいわけではない。時代錯誤なところもあるが、現状でも一定の役割を果たし、農家にとってなくてはならない存在には違いないだろう。ただ個人が情報を得て、発信ができる時代において時代にそぐわなくなってきているのは間違いないのだ。農業界だけではないが、いまだにFAXでしかコミュニケーションできない業者とは私個人としても取引はできない。そういった様々な理由から農家はお金や数字の仕組みについてもっと学ばなくてはならない。高校生でも気軽に学べるこの情報社会の中で最低限の知識を持っていないのは、武器を持たずにジャングルで餌食にされるの待っているようなものである。農家とはいえ、雇用される立場でないのなら経営者なのである。
ではまずお金の歴史について、などという気はない。単純に自身の営農の中で今年はどれくらいの売り上げを目指し、その為にどれくらいの経費が必要でそれを確実に形にするためにはどのような取り組みが必要か事業計画を立てよう。そして、動き出してからそれが計画通りなのか、そうでないならどこに問題が起きているかを確認し、改善をしよう。いわゆるPDCAだ。
社員やパートを雇うのにしてもそうだ。ある農業法人の社長が言っていたが、その会社では社員1人頭で3000万円の売り上げが上がるパフォーマンスがないと雇用はしないとのこと。規模や単価などもあるため数字の額はどうでもいいのだが、一人雇用することによりどれくらいの経費が掛かり、それを補うためにその一人のパフォーマンスでいくらの売り上げが必要かを理解しておかないと適正な経営マネジメントはできないということだ。逆に農業界でよく聞く負のスパイラルだが、現場で人が足りないから雇用し、人件費を払えないから規模を増やし、そうすることでまた人が足りなくなり…という構図をよく目の当たりにする。気候等の外部の影響を受けやすい農業なので分からなくもないが、だからこそ計画し、影響を受けないための工夫や経営努力をしなくてはならない。最たる例としてプラント工場があるが、あれは徹底的に数字で管理され、温度や液肥、光の時間までコントロールすることでコストはもちろんのこと、収量も安定する形なのだ。これからはAIが管理する時代となり、個人農家や法人でさえそういった農業、栽培と闘っていくことになる。大規模な法人であれば、栽培方法や作業も徹底的にマニュアル化され、イレギュラーが起こる確率を最大限減らしている。
もはや、農家が使う「畑は工場ではない」という言い訳は効かない時代になったのだ。
私の肌感ではあるが、今の日本で成功を収めている農家や法人の多くは非農家出身である。理由は簡単で、一度社会に出てサラリーマンとして会社の経営や数字に関して徹底的に叩き込まれるため数字のリテラシーが高く、さらにマーケティングやプロモーションの訓練を受け、かつPDCAを回すことを学んでいるため、課題解決能力が高いのだ。そして、何より圧倒的に行動力がある。これについてはこれまでのコラムの中でも何度も重ね重ね伝えている通りだ。
成功するためにつまらないプライドを持たず、わからないことは真摯に勉強し、わかる人に聞く。傲慢にならず、謙虚であるため好感度も高く、応援してくれる人や味方になって一緒に動いてくれる人も多い。視野も広く、常に情報に敏感なため必要な情報や可能性はすぐにアンテナにかかり、気になったらすぐに行動する。そんな中で失敗しながらもめげず、改善を加え、新たに挑戦する。そこにお金や人が集まり、同時にチャンスも集まるのだ。どれだけ感情論で訴えようとも、どれだけ大変な思いをしようともこの社会は結果主義だ。農業などの一次産業の世界だけが特別扱いされることはない。そんな社会の中で生き残ろうとするのであれば、目で見える数字で結果を出していくしかない。