「農のかけ算」農×お金

2024.06.27
何か事業を始めようとしたときは基本的にはお金が必要だ。
生まれ育った環境にもよるだろうが、親の金か、銀行や他人から借りるか、自分で貯めたお金であるかなど、いずれにせよ投資は必要になるだろう。農業に関してもそれは同じだが、比較的他分野に比べ、農業は補助金や融資が優遇される傾向にある。補助金でいえば、種類も多く、銀行等における融資も好待遇でお金を借りることができる。また、個人であれ法人であれ基本的には使えるものは最大限使っておこうというのが一般的な考えであるだろう。

ゼロから農業を始めるにはお金がかかる。農業機械、施設、燃料、肥料や農薬に種苗、土地、人件費に車両など挙げればきりがない。10年間農業法人にて現場や営業、総務や開発などの裏方含め一通り経験してきたが、百姓とはよく言ったもので大変な仕事である。
なのに命がけで作った野菜に値段がつかず、廃棄することもザラであるため、人件費を中心に多くの投資が無駄に終わるのは何とも心苦しいものであった。また、気候災害や震災などで作物を始め施設や機械、倉庫などが被害に合えば、手足をもがれたも同然だ。そういった外的要因の影響を受けやすいのも農業などの一次産業の特徴である。私が働いていた法人のビニールハウスも一晩の台風で50棟が全壊し、100棟近くのビニールが吹き飛ばされたことがある。一夜にして、約3000万円分の資産が失われたのだ。その時は保険で対応できたが、そういった意味ではお金をかけるのもリスクであり、同時に何かあったときにすぐに対応し、営農を止めないための金融リテラシーも必要になる。


日本の農業はいまだ個人経営、家族経営が多く、それは代々引き継がれた畑をまた親から子へ引き継がれたものがほとんどだ。その中でこれまでの農業に経営の概念がどこまであったのだろうかと疑問に思うほど、昨今までの農業経営はひどかった。農業は投資から回収の期間が長く、また収量と売値が安定しないもの多かったため、ほぼギャンブルの様な形で農業を営む農家もある一定数見受けられる。ひとまず畑を作物で埋め、値段が付くかは運次第で競合産地の天気が悪ければ市場全体の物量が減り、値段が上がるため喜ぶ。農協から送られる出荷した作物の値段表のFAXを見て一喜一憂するのだ。そして、当たり前のように10%近い手数料を農協に支払い、シーズンの終わりに通帳を開き、今年は儲かっただのダメだっただの言い、補助金の必要性などを訴える。
特に現場で見ていて理解できなかったのが、廃棄調整だ。農家の生活を維持し、市場の価格を安定させる狙いがあるのだろうが、育てた作物が各地で豊作だった場合、市場ではあふれる為、畑で廃棄するように求められ、その分は市場価格の6,7掛けで支払われるシステムだ。もはや、畑さえ埋めておけば売れればお金になり、ダメなら補助金で何とか生きながらえるという何とも手厚く、ある意味では農家殺しのシステム。これは葉物の産地でよくあることだが、これでは農家が「経営」をしなくなるのは当然だ。

農家を引き継ぐ子どもたちがそんな営農を見せられては経営スキルや金融リテラシーが高くなるはずもなく、同じような形で営農していく。しかし、2000年以降すさまじい速さで社会は変化しているため、今でも選択肢を持たずにひたすらに足元をみて畑を耕し、せっせと農協に出荷していく。農協の悪口をいいたいわけではない。時代錯誤なところもあるが、現状でも一定の役割を果たし、農家にとってなくてはならない存在には違いないだろう。ただ個人が情報を得て、発信ができる時代において時代にそぐわなくなってきているのは間違いないのだ。農業界だけではないが、いまだにFAXでしかコミュニケーションできない業者とは私個人としても取引はできない。そういった様々な理由から農家はお金や数字の仕組みについてもっと学ばなくてはならない。高校生でも気軽に学べるこの情報社会の中で最低限の知識を持っていないのは、武器を持たずにジャングルで餌食にされるの待っているようなものである。農家とはいえ、雇用される立場でないのなら経営者なのである。

 

ではまずお金の歴史について、などという気はない。単純に自身の営農の中で今年はどれくらいの売り上げを目指し、その為にどれくらいの経費が必要でそれを確実に形にするためにはどのような取り組みが必要か事業計画を立てよう。そして、動き出してからそれが計画通りなのか、そうでないならどこに問題が起きているかを確認し、改善をしよう。いわゆるPDCAだ。

社員やパートを雇うのにしてもそうだ。ある農業法人の社長が言っていたが、その会社では社員1人頭で3000万円の売り上げが上がるパフォーマンスがないと雇用はしないとのこと。規模や単価などもあるため数字の額はどうでもいいのだが、一人雇用することによりどれくらいの経費が掛かり、それを補うためにその一人のパフォーマンスでいくらの売り上げが必要かを理解しておかないと適正な経営マネジメントはできないということだ。逆に農業界でよく聞く負のスパイラルだが、現場で人が足りないから雇用し、人件費を払えないから規模を増やし、そうすることでまた人が足りなくなり…という構図をよく目の当たりにする。気候等の外部の影響を受けやすい農業なので分からなくもないが、だからこそ計画し、影響を受けないための工夫や経営努力をしなくてはならない。最たる例としてプラント工場があるが、あれは徹底的に数字で管理され、温度や液肥、光の時間までコントロールすることでコストはもちろんのこと、収量も安定する形なのだ。これからはAIが管理する時代となり、個人農家や法人でさえそういった農業、栽培と闘っていくことになる。大規模な法人であれば、栽培方法や作業も徹底的にマニュアル化され、イレギュラーが起こる確率を最大限減らしている。
もはや、農家が使う「畑は工場ではない」という言い訳は効かない時代になったのだ。


私の肌感ではあるが、今の日本で成功を収めている農家や法人の多くは非農家出身である。理由は簡単で、一度社会に出てサラリーマンとして会社の経営や数字に関して徹底的に叩き込まれるため数字のリテラシーが高く、さらにマーケティングやプロモーションの訓練を受け、かつPDCAを回すことを学んでいるため、課題解決能力が高いのだ。そして、何より圧倒的に行動力がある。これについてはこれまでのコラムの中でも何度も重ね重ね伝えている通りだ。

成功するためにつまらないプライドを持たず、わからないことは真摯に勉強し、わかる人に聞く。傲慢にならず、謙虚であるため好感度も高く、応援してくれる人や味方になって一緒に動いてくれる人も多い。視野も広く、常に情報に敏感なため必要な情報や可能性はすぐにアンテナにかかり、気になったらすぐに行動する。そんな中で失敗しながらもめげず、改善を加え、新たに挑戦する。そこにお金や人が集まり、同時にチャンスも集まるのだ。どれだけ感情論で訴えようとも、どれだけ大変な思いをしようともこの社会は結果主義だ。農業などの一次産業の世界だけが特別扱いされることはない。そんな社会の中で生き残ろうとするのであれば、目で見える数字で結果を出していくしかない。

 産まれた地域や環境を言い訳にできるのは戦地などの極端にネガティブな要素が強い場合のみで、日本においてこの文章を読める環境であるならば、おそらく努力と行動でカバーできる立ち位置にいるはずだ。政治や親などの環境を言い訳にしたくなる気持ちもわかるし、とはいえこの国の中でも環境に差は確実にあるだろう。ただ、それをいっていてもどうにもならない。この世界は「不平等なレース」だ。私たちが住んでいるのは必要なサポートが世界最高なレベルで受けられる日本である。この国で勝負をするのであれば、多くを学び、行動することでしか活路は見出さない。