「農のかけ算」農×職業

2024.04.04

皆さんは農業という仕事をご存じだろうか。

馬鹿にしているのかと思えるような質問である。答えは限りなく100%イエスと答えるだろう。では、農業が職業の選択肢に入ったことはあるか、で聞くと今でこそ数%はいるだろうが、10年、15年前だと1%もいないだろう。 そもそも日本国内で農業を仕事として捉える機会は他の産業より圧倒的に少ない。自分自身も30歳を超えるまで農家という存在はもちろん知ってるし、それが職業であることも理解はしていたがなぜか自分の仕事の選択肢に入ることはなかった。最近は農家以外の仕事についている方とも話す機会が多いが、農業という仕事について問いかけてみると概ね答えは同じになる。「知っているが見えてない」のだ。

今でこそ、メディアの田舎ブームというべきか原点回帰の流れもあり、一般人が農業に触れる機会が増えてきたが、15年ほど前まではもはや見せないようにしているのでは?と思えるくらい、情報もなく視野にも入らなかった。なぜか。僕が思うに虐げられていたのではと思う。実際に昭和から平成にかけて実業家として生きてきた父親に農業のその当時のイメージを聞いてみたが、農業とは受け継がれてやるもので新規参入するものではない、というようなイメージだったらしく、バブルに沸く日本社会で農業を生業にしていることが理解でできないような口ぶりだった。それは実業家としての立場はあるにせよ、一般サラリーマンでも好景気のおこぼれはいくらでもある時代においては正常な意見だったのかもしれない。

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そういう時代も相まって農家に我が愛娘を嫁にやるなんてとんでもない、というくらいだから、とにかく農業のいわゆる3Kのイメージは昭和から平成にかけて色濃く残っていた。そんな社会の中で農業、農家に国力そのものである若手人材を向かわせようという流れができるはずもない。それは教育を実践する教師や親の価値観にも根付き、いい大学やいい会社が勝ち組であり、一次産業に身を置くような落ちこぼれにはなってほしくないというのがその時代の親の偽れない本音であっただろう。 余談になるが、私が身を置いた4Hクラブ(全国農業青年クラブ連絡協議会)は70、80年代が隆盛を誇っていた。おそらく高度経済成長の最中、農家の青年たちは歯がゆい価値観の社会の中で日本の食を支えるという誇りを持ち、我らこそが日本社会の土台なのだと日本中の仲間を同志として鼓舞し合っていたのだろう。

では昨今はどうだろう。農業を取り巻く環境やイメージは大きく変わってきている。テレビを見れば男前の俳優が畑を耕し、田舎や一次産業に目を向けるさせるような番組も少なくない。テレビを見る世代の年齢が上がっており、そこに合わせているのもあるだろうがテレビの影響力はまだまだ小さくはなく、そこから農業に興味を持つ中高生などの若者も少なくはないはずだ。 また、SNSの世界でも農業コンテンツはある一定の支持を得ているし、ニュースピックスの様なビジネスに特化したメディアでも一定の周期で地方や農業がメインコンテンツとして語られている。

日本の教育が変わったのだろうか?もちろんそんなわけはなく、一言でいうと時代が変わり、価値観が変わり始めたのだ。政治の世界ではまだ時間がかかりそうだが、高度経済成長、バブルの中で無駄に成功体験を持つ世代が社会の中心部から減りはじめ、そのことにより組織の上下より個を重んじる流れが生まれ、それぞれの自由な価値観を持てるようになってきた。同時にインターネットの台頭により、発信が自由になり同じ価値観のコミュニティが生まれやすくなった。その流れの一つとして農業を楽しむ声や農業での成功者の情報にリーチしやすくなったのだ。課題についても情報として出回ることで改題解決のチャンスが生まれ、スタートアップ、ベンチャーも続々参入することになった。そして、みんなが気づき始めたのだ。同じマーケットが世界中にあるのだと。

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数字の記憶に自信はないが、現在の国内の農家の平均年齢は65歳以上、9割以上が個人や家族農家で農業従事者の数は130万人を切り、その中で50歳以下は約5分の1。20年もしないうちに農家は30万人を切るだろう。ただ、それは問題ではない。法人が増え、技術の向上もあり、生産効率はまだまだ上がるのに対し、人口は減っていくので食料自給率も上がる。

だが、やはりその流れの中で個人農家が淘汰されていくのは寂しい。努力不足だと言ってしまえばそれまでだが、農協システムに飼いならされてきた農家はいわゆる経営をする必要がなかった。とにかく畑を埋め、作物を出していれば生活ができたし、不作でも国が守ってくれた。昭和から農家であった大先輩方はある意味仕方がないが、その流れをそのまま受け継がざる得なかった親元就農者は大変だ。父の背中を見ながら、それを尊敬し、昭和の成功体験を持っている父の言うままにこの時代に営農して儲かるはずがない。 最近は一度外に出て、社会を知った状態でUターン就農し、成功している若者も多いが、全体からするとまだまだマイノリティだろう。農業は栽培が目的ではなく、お金を稼ぐことが目的であることに気付かなくてはいけない。その他の農家でいる理由もあるだろうが、経営であるならば目的は利益である。そして、利益を得るためにはこの社会の仕組みを知る必要があるし、競合のことも知る必要がある。とがった個性を作る必要もあるし、生産効率を上げ、認知度を上げ、さらに数字を見る必要がある。

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ただ、それを学ぼうって言ってもいきなり学べるものではない。畑を生きてきた農家にはいきなり座学なんて受け入れられない。ではどうするか。大きく三つのきっかけが必要だと感じている。

順に①危機感 ②自信と可能性 ③成功体験だ。

まず、危機感とは自分の立場を知ることだ。何度も言うが時代は移り変わり、社会の形は変わり続けている。言わずもがな最大の変化はインターネットやAIの時代に入り、生活のすべてが一変した。この時代に昭和時代に生まれた農協の販売システムが機能している方が不思議なくらいだ。すべてを否定するつもりもないが時代にそぐわないのは間違いない。消費者は並んだ作物の中から選ぶのではなく、人や個性で選ぶようになってきている。そういった時代の流れの中で「このままではだめだ」と気づくことができるかが生き残るカギとなる。そのためには外に出ることが重要だ。ネットで得られる情報でも十分に気付くことはできるかもしれないが、そもそも危機感がなければ必要な情報がアンテナに引っかからないし、自分からリーチすることもないだろう。そういった意味で4Hクラブなどの対面的な組織活動は今後重要となっていくだろう。

二つ目は自信と可能性。

いくら危機感を感じ、ヤバいと思っても行動がなければ状況が変化することはない。その行動のモチベーションとなるのが自分を信じる力「自信」であり、自分も変わることができると「可能性」を信じることなのだ。そのためには行動するしかない。個人的に一番おすすめなのは日本と全く違う文化、環境の国に行くこと。未知の文化、風景、食事、そして人に触れるという経験は一般的には恐怖の部類に入るが、その経験こそが「自信」に直結する。僕もその自信や視野を広げてもらうために農業に特化したスタディツアー『農スタ』を主催し、たくさんの農家や農業関係者をカンボジアという未知の国に誘ってきた。その成果は想像以上だ。

三つ目の成功体験は危機感と自信から導かれる。外に出て人に会い、未知の世界に触れるという体験が成功体験となり、より学ぼう、より行動しようという良い流れを生んでいく。そして、その積み重ねが自分の個性を育み、唯一無二の農家を創っていく。

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そんな武器を持った農家は魅力があふれ、認知度も上がり、消費者にも選ばれる。それは営農と直結し、経営的にもプラスに働くようになる。そして農業という仕事が職業ではなく、農家というかっこいい生き様に変わっていくのだ。 時代は変わり、現在農業という仕事が虐げられることはほぼないだろう。これは農業を営む人々にとっては大きなチャンスともいえる。過去や現状を嘆き、あきらめる必要はない。

誰にとっても今この瞬間が一番若いということを理解すれば、今以上に学びを得るタイミングはないからね。