「農のかけ算」農×企画

2024.06.06

農業を営む中では様々な場面でマルシェや収穫祭、団体の行事ごとなどイベント後に関わることも少なくないだろう。逆に言えば、そういったものに縁がないという農家は新しい価値を何も生みだしてはいないのではないかと言えるだろう。もちろん、そういった行事ごとは忙しい農家からすれば煩わしいものであることかもしれないが、地域や自社、栽培する品目や品種、農業団体のブランディングを考えるときに行事ごとやイベントを催すことは必要なことだと感じる。

 Hクラブという団体に長年携わり、役員としても長く活動して時間がたつにつれて強く感じるのだが、組織活動やイベントごとへの興味が若い世代から徐々にして確実になくなってきている。これはどういった原因でそうなるのかは明確にわからないが、一言で言うならば時代の変化なのだろう。SNSの弊害や教育や価値観の変化など様々要因はあると思うが、訓練の場を失うことになっているこの状況はもったいないの一言に尽きる。これは老害なのだろうかと考えることもあるが、私が出会ってきた成功者の多くは行動力があり、様々な場面で役割をもって、活動的に動いていることをみると世間的な成功を一つの価値としてみれば、また若手が成功を夢見るのであれば、必ずしも老害と言い切れないだろう。


企画というのは一般的な経営においても営農においてもなくてはならないものだ。農家においては単純に品目を決めることでさえも企画であるし、それがどういった形で需要が見込まれ、どういう形で認知度を上げ、お客様に届けるのかもすべてが企画力に集約される。イベントなどについても同様に、以下に魅力的な内容にして、滞りなくスケジュール通りに運営していくなども企画の段階で設計が必要になってくるだろう。

 とはいえ、企画は難しい。4Hクラブの農者会という最大のイベントでは全国から若手農家が集まるイベントにいかに参加者を集めるかがいつも大きな課題となっており、私自身も未だ明確な答えは持てていない。組織的に動くというのもなかなか難しいもので多人数が集まればそこには様々な意見があるため、まとめるという作業がなかなか難しいのだ。

そもそも企画するということはどういうことだろうか。

私の知人に一緒にイベントも毎年企画しているアフロマンスという業界では有名なイベントクリエイターがいる。彼が言うには企画というのはそもそも答えがあるものではなく、10人いれば10人の正しいがあるとのこと。そういった意味では、イベントなどの熟度や完成度はあるだろうが、これが正解というものは存在しないのだ。

それを前提に、企画を考えるうえで何が必要だろうと考えたときに私の様な凡人であれば、創造力や発想力が大切だと考えがちだが、アフロマンス曰く、今まで誰もやっていないことをやるのが大事だという。それはそうだろうと思いがちだがこれは簡単ではない。特に行政などは他で成功しているものをまねる体質があるため、役所などから面白い企画が出ることがないのはそのせいだろう。しかし、企画・イベントであるからには注目度や今までにないとか新しいなどのキーワードが初めて話題となることを考えると目新しさは重要になってくる。だからといって、過去にないイベントであればすべて注目されるかというとそうでもないだろう。コンテンツも目的もなく、ただめちゃくちゃなイベントでは狙いも定まらず、価値も生まれることはない。その辺の絶妙な調整ができて、初めて感動となり、話題となるのだろうと分析する。


一緒にイベント運営をやってくれているアフロマンス元弟子の方からも話を伺ったが、アフロマンスの能力としてとかく発想力が注目されがちだが、彼女によると彼の着地させる力、いわゆる実現力がすごいということだった。昨今のアフロマンスさんの実績でいうと佐賀県の依頼で有田焼のイベント企画があったらしいが、彼はそこで有田焼の色にちなんだ白と藍のクリスマスイベントやろうということでマシュマロツリーという巨大なクリスマスツリーを企画し、それを実際につくりあげ、大きな話題となっている。それ以外でも脈博という医療の心臓循環器系の学会からの依頼で福岡ドームの中に巨大なバルーンの心臓を作ったり、巨大な血管スライダーを作り、赤血球を模した浮き輪に載って滑らせたり、心臓マッサージに適したリズムでDJを行い、心臓マッサージを音楽に合わせてやってもらったりなど誰もが心臓循環器という小難しそうな内容を身近に感じられるような体験イベントを作って医療学会からも評価をもらったりしている。

普通に考えればコンプライアンスという私の嫌いな言葉が邪魔しそうなものも乗り越え、

親しみやすいものに変える発想力と実現力は類を見ないだろう。私もやりたいことをやるという実現力についてはそれなりの経験を持っているがこれは同等に扱えるレベルではない。さらに言うと、これらの実績がすごいのは、他になく目新しいという自己満足だけで終わらずにちゃんとクライアントやお客様を満足させており、三方よしでとてもバランスが良いことだ。

我々素人が考える企画というのはどうしても面白いという運営側のエゴに寄ったり、客のことや世間体を考えて堅苦しいありきたりなものになってしまいがちだ。もちろん様々な経験の中で反省などを繰り返してきたからこその実績と評価であるだろうが、このバランス感覚から農家が学ぶことも少なくはないだろう。


ただ、アフロマンスはそれだけが大事ではないという。もちろん三方よしの企画を否定するものではなく仕事として成功ではあるが、やはり若いころにやりたいだけでやったイベントはかなり尖っており、それはそれで話題性もあり、本人の満足度も高かったため、そういったイベントも続けてやっていきたいとのこと。これはおそらく仕事には仕事としての適性はあるが、本質的にやりたいこと、エッジの利いたイベントというのは依頼ありきではなく、本人の気質というべきものから出るからではないか。と同時に仕事としてもこれからも今までにないものを作っていくためには自身の内側から出るものを消化していくことで新たな発想の種を持ち続ける為ではないかと私は分析している。彼は自己表現を必要としているアーティストでもあるのだ。

 だいぶアフロな話が続いてしまったが、課題の多い農業界の話を共有し、どういったイベント・企画が考えられるか雑にアフロマンスに投げてみた。そうするとまずはそのイベントの目的を明確にすることだという。そもそも一つのイベントで日本国内の農業者を増やすというのは無理な話だ。であるならば農業との関係人口を増やすことを目的にするのか、農家を中心とした農業界隈の人間のテンションを上げるイベントなのかなど。様々な思いと目的を詰め込めるだけ詰め込んだイベントも散乱しているが、ほとんどの場合、すべての目的が半端に終わり、不完全燃焼で終わる場合が多いのだ。なので、イベント等ですべてを解決しようとはせず、イベントはイベントの目的を持ち、その先のフォローや農家へと導くための導線を作るのは農家や行政側であるべきなのだ。

 新型コロナを起爆剤に昨今はオンラインのみでのセミナー等の企画も多い。情報はインターネット上で散乱し、目新しいニュースも右から左に流れていく。SNSや動画サイトで得た価値がありそうな情報も我々の人生にどれだけのインパクトを残し、実際に価値ある実りになっているだろうか。ネット社会となり、広告宣伝は一気にアナログから、ネット上の時間の奪い合いになってきているが、私の実体験からしても実際に人に会ったり、現場に行ったりする体験以上に記憶に残っているネットで得た情報は皆無に近い。


となれば、農業界ならなおさらだ。味も匂いもしないパソコンやスマホで見るだけの経験よりもリアルな体験こそがこれからの時代の価値となりうる。であるならば、企画という言葉の裏にある本質的な目的においては我々のような農業に携わる側のほうが武器としては強いはずだ。そういう意味においては、これから地方や農家の持つ現場が価値となっていくだろう。それを流行のSNSや動画で上げることも一つの手ではあるだろうが、それ以上の価値として体験を企画するのはいかがだろうか。